弱り目を叩くのは

嫌ですね。
嫌な感じがします。



先だってのトラブルの尻馬に乗っているみたいだ、、、。
日頃から不満なのでしょうかね?

そもそも、ふだんから自動改札は、利用者にとって決して使いやすいものではない。ラッシュ時に乗客が次々と連なって通るときに、エラーが発生して、乗客の玉突き衝突が発生する状態をよく見かける。機種のせいなのか、調整に問題があるのか、自動改札機の反応が鈍い場合があり、正当な乗車券やカードで通っているのに、扉が一瞬閉まるために思わず立ち止まったり、出口側の残額の表示で、直前に通った他人の情報が表示が残った状態になっていて、エラーなのかと戸惑うこともよくある。

そうかな?
自動改札が使いやすくない???
玉突きは、さばく速度の速さゆえ、でしょう。
今、人力の遅いのに戻って、不満を抱かない乗客はいるでしょうか?
もっと性能を上げろ???、、、言うは易し、、、。

ある交通関係のシンポジウムでは、乗客の立場としてのパネラーから「自動改札機の扉がいきなり閉まるのが怖くて、鉄道の利用に抵抗がある」という発言が聞かれた。特にJRでは、何が目的なのか、普通の乗車券で通れない「スイカ専用」の自動改札機を混在させて並べ、混乱を招いている駅が多い。

そんな人いるんだ〜。
驚き。
当たっても痛いものでもないのに。
ま、そういう人もいるのでしょう。
さらっとレアケースを混ぜ込ませて、ミスリードしようとしてません?


「スイカ専用」はSuicaの普及促進のためでしょう。
目的が分からないとは、笑止です。
「何が目的なのか」は「混乱」を強調するための言葉ですね。
言葉遊びがお得意なようで。
しかし、「スイカ専用」はやめたが良いとは思う。
注意力のない人のせいで滞るので(しかもそういう人は処理能力も遅いし)、安心して通れないから。
Suica/Pasmoでない人が「スイカ専用」枠を通るのは、その人が悪いと思うけどね。

システム上の本質的欠陥
(中略)
ICカードに対応していない駅が存在するからである。

これを「システム上の本質的欠陥」というのは、天晴れ、としか言いようがない。
いや、文章が悪いだけか。
もし、この文章のままの意味なら、全駅対応してからでないと導入するな、ということになる。
こういう人が経営的視点も分からずに、とりあえずグッドウィルを叩く、といったことをするんだろうなぁ。
(いやなに、グッドウィルを擁護しようというわけではないが)
ということで、さすがに違うだろう。
案内をして欲しい、ということだろう。


でも、いつ?
タイミングは恐ろしく難しい。
下手なタイミングでやると、またこの著者さんに「無駄情報」と切られるし。
しかし私は、箱根に行く時、Suicaが使えるか、非常に気にした。
なんとなく分かるのではなかろうか?
そう、私はあらかじめ調べて乗る人だ。(JR側から乗って、私鉄でどこまで通じるか調べたクチだ)
ま、100歩譲って、私は普通ではないにしても、この分かりそうなことを考えもしない、思考停止に陥っている乗客の問題を捕まえて、「システム上の本質的欠陥」というのは、いかがなものだろう?

大々的にICカードを使うように奨励し、売店や自販機でも使えるとしておきながら、都市の中心部から離れるにつれて、カード対応不能の駅が出現するというシステムの発想が、そもそも「鉄道会社の本社側からみたサービス」「鉄道会社の本社側の都合」であることを露呈している。それは乗客の視点でもないし、乗客に頭を下げながら、面倒な説明と作業に追われる現場の職員の視点でもない。

この非難も恐ろしく的外れに思える。
「全ての乗客の視点」でないことは確かだが、少なくとも私は大満足なサービスである。
最近はほとんど現金を使わないくらいだ。
「都市の中心部でしか生活しない乗客の視点」にはかなっている。
都市部が良ければそれで良いのか、と聞かれると痛いところではあるが、Suicaのターゲット層と考えると、「乗客の視点」ではないだろうか?
少数のケースを捕まえ、全体を切る。
あげあし取り、とはまさに、か。

冗長な電子情報

これは正しいと思う。
しかし、

「当駅では全面禁煙になっております」などというムダ情報が多い。

これは、どうだろうか?
この文章はいらないのではなかろうか?
私思うに、わざわざ割り込む情報は、駅員がまさに違反を見つけた時、と思っている。
タバコの害が知らされている今のご時世に、ホームでタバコを吸うという愚か者がいたのではなかろうか?
だとすると、そのアホに知らせるためにも必要である。
アホの多くは字が読めないのだから。


新幹線の話も概ね賛同だが、情報の提供については、難しいところが多い。
単に今見て無駄だからといって、今までのやり方を大きく変えるのは、それこそ基盤インフラとしては非常にやり難い。
最初がまずかった、といえばそれは事実かもしれないが、だから変えられる話ではなかろう。
どうしろ、というのだろうか?


最後も、「逆に〜」の文がなければ好感持てたのに。
私は「デジタル情報ばかり」で分かりにくかったことはない。
それは、私の主観でしかないとは判っている。
でも、例の提示もない以上、著者さんの意見も主観でしかない。
それなら、文章は最後を肯定的にした方が良い。

なんでこんなこと書いたかって?

タイトルで興味を引かれたのですよ。
そして、長文を読んで得るところがなかったので、八つ当たりしたまでです。
この八つ当たりに付き合わされた方、ごめんなさい。


そうね。
元の文章、生産性がないのですよ。
それも不満。
こうしたらどうだろう、とか、こうすればもっと良くなる、とか。


結局、否定・否定・否定、の文章に嫌気がさしたのでしょう。
そして、その気持ちを整理したかった。
それが私の心理のようです。